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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)2445号 判決

控訴人 株式会社読売新聞社

被控訴人 永井源吉 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は「原判決中控訴人勝訴の部分を除きその余を取消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方代理人の事実上の陳述は、

被控訴人等訴訟代理人において、一、本件記事は事実の真相と異つた印象を一般読者に与え、以て被控訴人等の名誉信用を毀損するに至つたものであることは、原審以来詳述してきたところであるが、昭和二十九年七月十三日の出来事を以てあたかも被控訴人永井源吉の殺意あつての行動の如く誇張して掲げ、また右記事掲載当時慰藉料は二十万円と話がきまつていたのに(実際はその後十万円で解決した)、「こじれた慰藉料百万円」と大々的に表題をつけて、読む者をして一見如何にも被控訴人等が終始貪慾で百万円を要求し続けてきたかの如く思わしめるような記事の扱方をしたため、全国の一般読者からは、被控訴人等が愛児輪禍死の仕返として殺人を企図したり、百万円という莫大な慰藉料を最後まで執ように要求するなど、極悪非道な人物であるとしてこれを非難攻撃する沢山の投書が殺到した(その一例として本件で甲号証として提出した数々の投書参照)。この事実は本件記事が一般読者に如何なる印象を与えたかを如実に物語るものであつて、事の真相と相距たること甚しいと謂わねばならぬ。二、本件新聞記事の掲載販布によつて被控訴人等の名誉を毀損し精神的物質的損害を蒙らしめたのは、控訴人の被用者である(イ)取材記者高崎晶の故意過失、または(ロ)社会部の所謂デスク担当者である辻本芳雄等の過失に起因するものである。即ち取材に当り高崎記者に故意過失があつたことは先に陳述したとおりであるが、本件記事の前書や見出しを附け、また第三者の意見的記事を掲げたのは、右デスク担当者である辻本等の関与したことであり、同人等において、これら部分の掲載表現の態様から事実の真相と甚だしく異なる印象を一般読者に与え、以て被控訴人等の名誉を毀損するに至るべきことを予見し得たに拘らず、思いをここに致さず漫然かかる記事の取扱をしたのは、右関係デスク担当者である同人等の過失であると謂わざるを得ない。と述べ、

控訴人訴訟代理人において、(一)(本件記事の本文の内容ないし見出しが真実に合し、また記事作成者がこれを真実と信ずるにつき相当の理由があつたとの点につき)本件記事の本文中(イ)慰藉料百万円要求の問題は、取材記者高崎において取材当時関係者双方から聞いたところが一致していたので、間違いないものと信じて書いたものであり、その頃既に右百万円が五十万円から二十万円と次第に減額することに話合がついていたことは、少しも知らなかつたことである。いずれにしても当初百万円を要求したことは事実に相違ないから、右高崎記者の取材にもとずいてデスクとして「こじれた慰藉料百万円」と見出しをつけても、何等事実に反するものでないことは勿論、誇張に過ぎるものでもない。また(ロ)昭和二十九年七月十三日の出来事も、高崎記者が関係者等につき調査した事実を、ありのままに記事としたものであり、被控訴人源吉が「今日はただで帰さぬ子供を置いて行け」と云い暴行を加えたり、疾走してきたトラツクの方へ堀口キクヱを、「ひかれて死んでしまえ」と二度も押出したりした事実がある以上、仮りに行為者の真意が脅かすつもりであつても、受けた者はそうはとれず、また幸にして疾走してきた車が停車したからよかつたものの、若し間違を起したときは重大な結果となるべきもので、客観的にみるとこの事実に対し、本文の記事全体を総合して「愛児輪禍死の仕返し、母子れき殺図る」と見出しをつけても已む得ないことは勿論、これを以て虚偽の事実を報道したものということはできない。以上の如く本件記事は全体として真実に合致するものであり、被控訴人永井源吉の堀口キクエに対する暴行については、堀口より成城警察署に告訴されていたのであるから、公訴の提起はないが犯罪行為に関する事実である。そして刑法は名誉に対する罪に関し第二百三十条の二において、人の名誉を毀損した行為が「公共の利害に関する事実に係りその目的専ら公益を図るに出でたるものと認むるときは、事実の真否を判断し真実なることの証明ありたるときはこれを罰せず。」「未だ公訴の提起せられざる人の犯罪行為に関する事実は、これを公共の利害に関する事実とみなす」と規定しているのであるから、本件記事については刑法上の責任のないことは勿論、この規定の趣旨は民事上の不法行為の帰責の有無についても、同様に解すべきであつて、控訴人新聞社に不法行為上の責任があるものではない。(二)(特に控訴人新聞社のデスクの責任につき)(イ)元来デスクというのは新聞界における慣用語で、職制に基く機関ではない。新聞の編集権が経営者にあることは当然であるが、この編集権にもとずいて例えば社会面のニユースは社会部長にその権限の一切を委任されており、その社会部長を補佐するものとして控訴人新聞社社会部では、次長が七名、通信主任が一名おかれている、この次長のうちのある者が交代で担当する社会面づくりの任務のことをデスクと称している訳である。デスクの仕事としては、記者を指導監督し、取材を指示し、記者の書いた原稿に朱筆を入れるという三点に要約される。本件で問題になつている最後の点即ち原稿に朱筆を入れるということについて詳論すれば、記者が書いた原稿はすべてその日当番に当つているデスクの許に提出され、デスクはその記事に真実性があるかどうかという内容上の問題と、字句や表現が適切かどうか、記事の量(長短)がどうかなど、表現上の問題の二点について審査し、合せてどんな原稿が提稿されているかその状況を把握して、整理部との連絡調整に当るものである。(ロ)そこでデスクの原稿記事の真実性の調査は如何なる限度でなすべきかというに、これは後に述べる理由により一応形式的なことで足りると解すべきものである。即ち記者は入社すると一定期間(約六ケ月)教育部で研修を受け、一人前の記者としての資格を得る訳であつて、うそは書かないというのが新聞記者の鉄則であり、そのことは教育部の研修によつて徹底的に教え込まれるのである。従つてデスクは記者の送稿したものは真実であると推定するのが当然であるから、その真実性に関する審査は、その内容に矛盾撞着がないかどうかデスクの経験則によつて判断されることに止まるのである。たとい緊急な記事でないにしても、原判決が指摘するように、デスクが右送稿について別段の調査も加えず直ちに右取材内容が真実に副うものと確信することが不可というならば、更にデスクは他の記者に再調査、更に再々調査をさせなければならず、かくては報道の迅速という新聞の機構は全く成立たないことになる。若し記事の内容が真実を伝えていなかつたとすれば、それはデスクの責任ではなくその取材記者の責に帰すべきであり、本件において高崎記者の取材について過失の責がないとすれば、もとよりデスクの過失でもなく、控訴人新聞社がその責任を問わるべき筋合でない。これを要するに本件記事の掲載販布について、控訴人被用者に故意または過失の責なく、そしてその掲載記事の内容が真実に合致する以上、たといこれによつて被控訴人等の社会的名誉を毀損する結果となつても、それは新聞紙の社会的報道機関としての正当業務の行為に属するものであり新聞紙の使命に関する社会通念に照らし、当然是認せらるべきものである。(三)(控訴人新聞社において取材ないしデスク担当記者の選任監督につき相当の注意を怠らなかつた点につき)前記(二)の(ロ)において詳述した如く、控訴人新聞社では入社試験の上社員として採用した者に、教育部において新聞記者として必要な指導訓練を施し、特に社の方針として報道の真実に合致すべきことを強調指導してきたのであるから、かりにその被用者に不法行為上の責任があつたとしても、その使用者である控訴人新聞社には、その選任監督につき相当の注意を怠らなかつたものとして、民法第七百十五条による責任はない。と述べた外は、原判決事実摘示の記載と同一であるから、これをここに引用する。

証拠として、被控訴人等訴訟代理人は、甲第一号証、第二号証の一ないし三、第三ないし第七号証、第八号証の一ないし三、第九ないし第十三号証の各一、二、第十四ないし第二十七号証を提出し、原審証人山根ツ子、同宮巻索作、同岩間正男、当審証人永井亀吉の各証言並びに原審における被控訴人永井シヅヱ(第一、二回)、原審及び当審における被控訴人永井源吉各本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認め、控訴人訴訟代理人は、乙第一ないし第五号証を提出し、原審証人村岡隆昭、同石崎幸策、同永田完玉、当審証人堀口キクヱ、同熊田史郎、同高崎晶、同辻本芳雄、同細見又郎の各証言を援用し、甲第一号証、第二号証の二及び三、第三号証、第六号証、第八号証の一ないし三、第十五ないし第十七号証及び甲第二十五号証中登記所作成部分の成立を認め、右甲第二十五号証中爾余の部分及びその余の甲号各証の成立につき不知を以て答えた。

理由

当裁判所は、当審でなされた新たな証拠調の結果を斟酌するも、左記の点を付加する外は、原判決理由に説示するところを全部ここに引用し、これと同一理由によつて、控訴人に対する被控訴人等の本訴請求は原判決主文第一、第二項表示の限度でこれを認容すべきものと判断する。

付加する点は左記のとおりである。

一、本件記事の作成掲載及び販布が、控訴人新聞社の被用者である記者高崎晶の取材に基いて、控訴人新聞社の被用者である社会部の所謂デスク(記事の編集担当者及び整理部担当者をも含めて)その他各部署に従事する多数被用者の協力によつてなされたものであることは、当事者間に争のないところであるが、具体的には本件記事中(イ)本文記事の部分は、概ね高崎記者の取材送稿したものにかかり、控訴人新聞社社会部次長として社会部デスク担当者である辻本芳雄が、当時右取材記者である高崎の意見をきき文章の長さを縮少したりしたものであるが、その内容は右取材内容とさほどかけはなれたものでないこと、(ロ)「わが子ひとの子」の見出しの下にある前書(「子供がトラツクにひかれて死んだ」から、「恐ろしい出来事である」まで。本文記事を要約したもの)は、前示辻本芳雄の執筆したものであり、見出しの「わが子ひとの子」、「愛児輪禍死の仕返し、母子れき殺図る、こじれた慰謝料百万円」とある部分は編集担当者とも連絡調整の上整理部担当者が附けたもの、正木弁護士及び評論家松岡洋子の談話の部分は、前示編集担当者が他の社会部記者に命じ、電話で本件事案に対する同人等の意見を徴し、これを第三者の談話として前示本文の次に掲載したものであることは、成立に争のない甲第八号証の一ないし三及び当審証人辻本芳雄、同高崎晶の各証言並びに原審における共同被告高崎晶本人尋問の結果を総合して認め得るところである。

二、控訴人は、本件記事の本文の記述はもとよりその見出しの如きも、全体として真実に合致し、またこれを真実と信じるについて相当の理由があつたのであるから、控訴人新聞社に不法行為上の責任なしと主張するのであるが、(前掲事実摘示(一)参照)、この点に関する当裁判所の判断も、原判決理由(四)及び(五)以下(特に記録第三五二丁裏七行目以下)に説示するところと同じようになるのであるけれども、なお右引用した理由の外に附言すれば、(イ)なるほど慰藉料百万円要求の問題について、取材記者高崎が当時関係双方からきいた所は一致しており、その頃既に当事者間の話合で二十万円に減額されていた事実を同人が知らなかつた、(このことは原審〔本人〕及び当審〔証人〕における高崎晶の供述から窺われる)ため、その送稿にかかる本文記事中に経過事実の一端として、当初被害者の被控訴人側から百万円の慰藉料を要求した事実を挙げ、右減額の経過について触れていないにしても、たゞそれだけでは一般読者をしてこの点に関し重大な関心をよびおこさせる程の事項とも、考えられないが、右本文記事の見出し中に「こじれた慰謝料百万円」と大型活字で表示することによつて、右本文の記事と相俟つて読者に対し、被控訴人等があたかも終始百万円の要求額を固執したかのような印象を与えるものであることを、看取するに難くない。(本件において甲号証として提出された幾多の投書によつてもこの事実を窺うことができる)また(ロ)昭和二十九年七月十三日の出来事についても、引用の原判決の認定する如く、被控訴人永井源吉等の暴行の程度等に関する本文の記載は若干事実に相違するところがあるが、右本文においては被控訴人永井源吉等暴行に関する部分は伝聞である旨を附加してあり、その他の部分についても関係当事者の談話を掲記してあるので、同記事本文の部分のみでは読者をして、記者が伝聞した事実及び関係当事者の談話の内容が、真実であるとの印象を必ずしも与えるものとは思われないけれども、大型活字を以て掲載された「愛児の輪禍死の仕返し、母子れき殺図る」等の見出しや、正木ひろし氏談に「殺人未遂に当ると考えられ云々」とある部分をも総合すれば、前示編集整理担当者がこれら一連の事実を以て、被控訴人等は愛児輪禍死の復しゆうを図り、被控訴人永井源吉において加害者側の母子に対し殺人未遂の行為に出でたものと速断して、かかる断定的な見出しを附け、或はこれを前提として第三者の意見を徴し、これを評論的記事として掲げたものであることは明らかである。そして新聞の報道記事は一般に精読されるというよりは、むしろ表題等に重きを置いてそのまま読過され勝ちのものであつて、見出しどうりの行為があつたかの如き印象を読者に与えることは必然であり、一定の新聞記事の内容が事実に反し人の名誉を毀損すべき意味のものかどうかは、一般読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものであるから、結局前示記事の表現は重要な点において事実と相違し被控訴人等の名誉を毀損するものという外はない。

三、控訴人新聞社のデスクが、本件記事の内容をなす事実を真実であると信ずるについて相当の理由があつたかどうかの点についても、引用の原判決の説示する諸般の事情の下では、デスクが高崎記者の取材送稿にかかる内容を直ちに以て真実に副うものと確信するに至つたということにつき未だ一般を首肯させるに足る程の理由があつたものとは認められない。本件交通事故のような立場に置かれた場合被害者が憤激のあまり加害者側に対し、度を越えた暴行の所為に出ることはあつても、その「れき殺を図る」というようなことはむしろ異常のことに属するから、いやしくもかかる事象を捉えて殺意ある行為と断じ、一個の社会問題として世人の反省と批判に訴えようとするにあるとすれば、更に調査を尽して真実の把握に慎重を期すべきものであり、記事の性質上その余裕を許さぬ程緊急を要するものであるとは考えられない。(事実暴行のあつたのは七月十三日であり、記事となつたのは八月十一日のことである)。この点に関し控訴人は取材記者は一定期間研修訓練を受け、うそを書かないという新聞記者の鉄則を身につけるものであるから、デスクが取材記者の送稿したものを真実と推定するのは当然であり、若し再調査をしなければならないとすると報道の迅速という新聞の機構は成りたたないと主張する。なるほど日刊新聞の最も重要な使命は、一般世人に日々の出来事を迅速且つ正確に報道するにあり、その迅速性と正確性とは時に両立し難い事情の存することは否めない事実であるけれども、もし他人の私行について誤つて報道することがあれば、その誤報は真実の事実として広く世上に流布せられ、これによつて私人の名誉を毀損することが少くないのであるから、他人の私行に関する記事の掲載については、新聞社の被用人としてその編集整理を担当する者は、記事の正確性真実性に格別の注意を用い、その表現においてみだりに他人の名誉を傷けないよう配慮する義務を有するものというべく、報道の迅速のためにその真実性を忽せにしてもよいということにはならないのみならず、本件にあつては前説示の如くさ程緊急を要する場合でもなく、当然その真実性(殺意の有無等)について一応の疑念をさしはさむべき事案と解すべきであるし、殊に当時取材に当つた高崎記者は正式に新聞記者となつてから五ケ月目であつたというのであるから、たとえ控訴人主張のような研修訓練を受けていたとしても、その経験において、能力において必ずしも万全を保し難く、従つてデスクとして何等再調査を指示することもせずに、直ちに以てこれを真実と確信したとすれば、聊か軽卒の譏を免れず、いずれの点からみてもかく信じるについて首肯し得べき相当の理由があつたものということはできない。

四、当審証人高崎晶、同細見又郎の各証言によれば、控訴人新聞社においては被用者たる取材記者や記事の編集整理を担当する幹部記者一般に対し、平常新聞記者として必要な研修訓練を実施し来たことを看取できないでもないが、このことを以て直ちに、民法第七百十五条第一項但書の免責事由に該当する被用者の選任監督につき相当の注意をなしたものとは認められないから、この点についての抗弁も採用できない。

よつて以上と同趣旨に出でた原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条に則り、本件控訴を棄却すべく、控訴費用の負担につき同法第九十五条第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤直一 坂本謁夫 小沢文雄)

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